熱海の古絵図

(郷土史「熱海物語」太田君夫氏著より)

熱海の温泉図彙

唯一、海中から噴煙を上げている絵図。
絵の中の配置から見ると熱海の沖合いか、錦ヶ浦のあたりか?(既に位置判明)

走湯山縁起によると、西暦491年に再び噴火とあり、更に749年に噴火とある。
この絵図の説明によると、この絵図を英泉が描き写した時には既に沈んでいたと思われる。

この位置関係からいって、大乗寺根ではなかろうか?(現在、釣りポイントの根)
仮に大乗寺根とすると右に見える陸地はビタガ根と新根及びソーダイ根の重なったものとなるのだが!

ダイバーで気になる方は絵図を拡大して確認して下さい。

見て頂きましたか?
この絵図の右側に見える岩屋(石塊状)の山は、現在では存在しない事に気が付いただろうか?
この岩屋(石塊状)の山が水中に有ったら、貴方だったらどの様に想像しますか?

熱海の温泉図彙

(あつうみケ崎の検証をしています(絵図拡大))

ここに掲載されている絵図は熱海を良く表している。
しかし、天平時代(和銅)等がいまいち正確かどうかが、問われるところである。

豆州熱海絵図に描かれた内容には、ソーダイ根とハッソク根の記載が無い。
この年代以前に海底へと沈んだと推測される。
(海底遺跡の痕跡が無い)

が、ここに書かれている年代は天和元(1681)11月に発行されたものである為、以前の板絵図が朽ちていた為、新たに作り変えたと見ている。(出来栄えは版図)


豆州熱海絵図

 

この絵は上の図から抜粋し、拡大したものである。
良く見ると、洞窟の横に突き出た島っぽい形が見えるが、火山の形にも見える。
また、その右側の水面上に大きな島が見える。


錦ヶ浦周辺(二色浦)

(注)火山では有りませんでした。「中の根」と書いてありますので、違います。「中の根」は、現在では通称名「でふきん、でぶきんちゃん」とも呼ばれています。

ソーダイ根、ハッソク根等が水面に出ている絵図が見つかると良いが!!

この絵の配置で見た場合、沖側は大島と思われ、この絵の右端に見える島が初島と思われる。

 

この右の図は伊豆山の海岸線を表している。海の部分にかなり大きく島らしき形が見える。現在、この海には沖根、沖根東、大黒根と呼ばれる岩礁があるが、水面には沖根の一部しか出ていない。


伊豆山海岸周辺

波間に見えるのは沖根とシラバンコ周辺(現在は1部のみ海面に露出)
↑ 入り江状に見えるのが旧秋戸郷(阿岐戸郷).頼朝が平氏打倒を決め、出兵した時、北条政子隠棲の地とされており、入り口は1ヶ所、出口は海しかないが、この当時、秋戸郷には熊野伊勢衆(漁師、船乗り、職人、商人)がいたとされる。

 

この右の図は街道路であるが、中央部下の海岸部分に小さな島っぽい形が見えるが、錦ヶ浦から多賀までの海岸線。大きな島は初島?


一里塚に点が打ってある

 

錦ヶ浦の洞窟横に松の木の生えた所がある。この場所は兜岩、その横の海面に見えるのが烏帽子岩。その沖合いにあるのは大島であろうか?


錦ヶ浦の洞窟が良く分かる

 

宝暦8年の絵図(1758)


熱海の絵図(1758年戌寅歳三月改板の図)

錦ヶ浦の場所の海面に島影が見えるが、形から兜岩、烏帽子岩、それとその横にある岩場に見える。ソーダイ根とハッソク根が見えない。

 

 

伊豆山から熱海までの海岸線が良く分かる。

江戸末期 豊国の手による絵

熱海〜真鶴までが一望出来、初島と大島の位置関係もよく分かる。

しかし、この湾状の中が沈んでいると信じますか?


熱海の海底に眠る遺跡は江戸時代以前に沈んだものと推定される。
鎌倉は中期、1247年頃に火山噴火と大地震で沈んだと見ている。

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熱海の海底遺跡保存会