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熱海の海底遺跡保存会

サイト更新の為、一部閲覧出来無くなって居ります。
暫くの間、ご迷惑をお掛け致します。

YOUTUBE動画サイトへ熱海の海底遺跡動画をアップ致しました(*^_^*)
 
熱海の海底遺跡 シリーズ1 湊の波返しと特殊な石組み 1/2   熱海の海底遺跡 シリーズ1 湊の波返しと特殊な石組み 2/2

熱海の海底遺跡シリーズは現在17本アップ中です。まだまだ、アップします(*^_^*)
熱海の海底遺跡 と入力して検索して下さい。
総合案内編 にて、どの様な海底遺跡なのかの全体像をご覧ください。1本
シリーズ 1 あつうみの里の小湊の波返しと特殊な寄せ組み石×2部水路の壁石積み、護岸石垣(防波堤)船舶修理用ドック謎の素焼きの壺龍神の石祠鎮守の神社 遥拝石畳と石畳の参道。計8本
         
シリーズ 2 あつうみヶ崎(大乗寺根)の祭祀階段と方位盤幻の火山幻の大灯台海底陥没究明の手がかり!?等。計4本
シリーズ 3 ソーダイ根の階段と碇石。計1本
ファンダイブ編 熱海ファンダイブコース散策 ソーダイ根編 すどう君の海底遺跡探検記 その壱編その弐編の計3本.

熱海の海底遺跡案内Video リンクサイト
全16本をアップしてあります。
注意:クリックすると再生が直ぐ始まりますので、音量に注意して下さい。

   発見!? ビデオテープ編集中に鞍形石臼(サドルカーン)を見つけました!!

鞍形石臼サドルカーン
あつうみの里小湊近く。


お知らせ 熱海の海底遺跡のホームページを順次作り変えて行きます。   2012年 3月4日 記

東日本大震災に遭われた方へのお悔やみと鎮魂、そして、お見舞いを申し上げます。

改めて見直される地震と津波、寺社伝承による地質調査が行われています。そして、熱海での伝承記録は・・・
暫く検討を重ねて来ましたが、文献等が皆無に近い為、伝承等を参考に歴史なども見直しております。
あつうみヶ埼の絵図は奉納絵図彙の板絵として代々伝承、江戸末期に絵師によって、板絵から和紙絵、或いは版図絵へと模写し、現代の熱海の温泉図彙として残っています。
しかし、この絵の位置関係と同じ場所に、ほぼぴったりと海底遺跡は沈んでいるのです。
走湯山縁起(伊豆山神社伝承)によると、この絵に描かれた火山は何度となく噴火を繰り返して里人を苦しめたそうです。
伝承を含めた歴史年表も掲載予定です。古史・古伝承は歴史財産です(*^_^*)
熱海の古絵図
●熱海(阿多美)古年表(準備中)


熱海の海底遺跡保存会

〔百練抄〕16 本院 宝治元年正月 十二日 丙寅 今夕雪降 此間風聞云、
伊豆國長十二町 弘八町、自十餘町行去、其跡如湖水云々、

謎と疑問に満ちた熱海沖合の海底遺跡ですが、遺構が存在していても、在るべき筈の文献書籍が皆無なのです。
これは、熱海沖の海底に眠る【あつうみヶ崎集落群】と【港湾都市施設】が何故沈んだかが焦点となり、【百練抄】の言うが如く「自十餘町行去」とは、沖に向かって1キロメートル程滑って沈んだのか、或いは垂直に陥没したのかの解明も含まれ、更にその周囲に点在する遺構にも調査を進めます。

この中には地質学上未確認とされる複数の海底火山の内、確認された2つの海底に鎮座する火山と思しき隆起沈降岩礁(大乗寺根)も含み検証しています。現在では陸上の地質と海底地質も含めて解明中です。


天平(和銅)の時代のままに描かれ残されたこの絵の地形は・・・本物です(*^_^*) 絵のままに、海底に眠っています。

あたみ の おんせん ずい
熱海の温泉図彙

拡大して色を付けて見ると!

右側の図は熱海(阿多美、阿多見)を現すにはもっとも最適な絵と言える。
あつうみヶ埼と言われる岩の上には薬師如来が現れ、対峙しているのは箱根の住僧万巻上人。
初期仏教伝来(補陀落信仰)
あつうみヶ埼の横では噴煙と共に火山の火口が見えている。大島の絵も現在の大島の形と違う(噴火の為).
手前に居るのは海女さんと、特徴のある櫓櫂を肩にかけた漁師が居るが・・・、ゴザ船とかムシロ船と言われる竹を組んだ浮船に乗っている。海の中には海女さん二人、口にアワビ剥がしを咥えている。朝鮮渡来の伊勢熊野衆の一門か?
右上にはあつうみの里が見えており、16〜20軒ほどの住まいが見えている。良く見ると、井戸が2ヶ所、神社が1ヶ所、石祠が2ヶ所、村長の家も見える。

あつうみヶ埼祭祀社階段

左側の図はあつうみヶ埼と云われる現在の水中での景観だ。

現在の水深は海面下37m程。古来に於いて海面にあった頃は海面から上に5〜7m以内と思われる。
上の熱海温泉図彙を見ながらの推理となるが、頂上付近に薬師如来(?)を祀る祠があったと思われる。

階段を上りきった所に石の祠があったと思われ、祠の向きは南北に正確に向いている。

また、祭祀し、手を合わせる者は南に向かって拝礼する事となる事から、この神様は南から来たものと思われる。

メインとなる階段に繋がる様に、下部には横からの階段がはっきりと判る。

更に階段周囲には用途不明のグリ用玉石が多数転がっている。

このグリ(栗石)用の玉石は河川河口域や海岸線の波打ち際に多く存在するもので、階段或いは構造用の裏打ち用に運び込まれたものと思われる。

 

この階段、私たちは人工的に作られていると見ているが、ご覧になった方々はどの様に見えるだろうか!?

ここでは、鳥居の一部や石祠の一部を見つけている。

また、向かって左側に火山の火口階段右側(ライトを持ったダイバー)には三角形の方位版(東西南北)がある。

この阿多美の「あつうみヶ埼」が海底に沈み、古い時代のあつうみ→あついうみ→熱海へとなって行く!

古来よりの古語では、湯(ゆ)とは煮えたぎる火山の熔岩の様を指し、走湯とは火山の激しい噴火のあり様を指している。


2007年頃から確認調査をしていないのでは無く、してはいるが、謎が多い為に報告出来ないのが本音です。

大乗寺根は大灯台のかがり火焚き口と、あつうみの郷の小湊のかがり火焚き口は二等辺三角形、大乗寺根の方位版は正三角形、太陽と月のモニュメント及び祭祀跡にある長方形の埋め込み石と菱形石等、何の為に幾何学的な形をしているのかが謎なのです。

そうそう、太陽と月のモニュメントは正確に東西南北を表していると思いたいのですが、6〜7度程狂いがあります。沈んだ時に向きが多少狂ったのかもしれません。(これにも疑問が残ります)

しかし、その横の磐座石は正確に東西南北を表しているのです。何か意味ありげです。太陽と月のモニュメントには、太陽と月を表す石が埋め込まれていますが、太陽は丸型の平板状(埋め込む側に取付用の丸型出っ張り)を埋め込み、月の石は尖がった円錐形の石を埋め込んであります。そして、何を意味するのか長方形の石がその横に柱の様な形で埋め込まれているのです。(柱状の石は肉眼で確認出来ず、写真にて確認)

さて、今まで確認した石の碇石以外ではかまど下に使われていた下駄形の石を2種類見つけました。この石が沈んでいると言う事はかまどが有った船も沈んだ可能性が有ります。いづれ、この石を引き揚げる予定ですが、大型の下駄状石4個、小型長尺の物は2個の計6個です。


ソーダイ根階段痕跡       護岸石垣遺構痕跡

詳細海底図

地震の多感地域だからこその柔豪な構造設計 !

半ドック石積みを上から見る

上の→部分の精巧な石積み

半ドック石積み

石積み外側 高さ約2.5m 石積み内側 高さ約2.0m 石積み厚さ 約1.2m(概算値です)

熱海湾海底図

相模湾海底図

この海底図で初島から真鶴辺りはすり鉢状になつている様子が伺えるが、相模湾の海底は随分と起伏に富んでいる。


鎌倉から三浦半島の周囲は遠浅の様である。


相模湾海底の地殻変動に注目!?

石田理論 相模湾内の異変 相模大変

熱海の海底に人工物を確認してから既に30年が経ってしまいました。
ソーダイ根岸側の回廊、ビタガ根の石畳(乱張、方形張)、石垣、護岸石積、湊跡(大桟橋群)、そして大乗寺根の階段と祭祀遺跡
更に、ハッソク根とビタガ根中間にドック跡?と素焼きの壷.
昨年の12月には大乗寺根にかがり火灯台を確認!!
664年(天智天皇3年)唐の国にならって烽燧(ほうすい)烽火狼煙(ほうかのろし)を北九州および朝鮮沿岸に設置。

また、大量な「碇石」によって更なる疑問が湧いて来ています。
←あたみ(熱海/阿多美/阿田美/直美)
相模湾の中に更に自然が作った湾が一つ!!
古来よりの船乗りは波の立ち方や風に大変敏感だったと思われるが、風待ち、港としての阿多湊(あたみなと)→阿多美→熱海として位置付けていなかったろうか?

この他に直見郷と言う名前が出て来るが、本来は値見郷(イが抜けて)であたみ郷と読んだのではなかろうか?

(地名に関して) 全国の阿田/吾田/阿多
とは中国の言葉で入り江、入り組んだ事をさし、は入り江の多さを表わす。
また、熊野地方にも阿陀(後に阿多)と言う地名と二色浦→錦浦があり、熱海にも二色ヶ浦→錦ヶ浦の地名が残る。熊野の名残りが有るが、それ以前より熊野と同族系又は古来よりの土着・渡来系海民族阿田(隼人、久米、阿積、穂積、伊族、津族、多族とその混成部族)の居住が有ったのではないか?

熱海湾から富士山を見ると

網代と真鶴が鶴翼の様になった湾

熱海市多賀神社の伝承を紐解く 黒いマレビト

相模湾

相模湾展望

相模湾全体を望む。勝山にも熊野信仰が。

あつうみヶ埼白黒図小

あつうみヶ崎?拡大図

唯一、残っている不思議な絵.
海女がアワビを獲っている風景とその上には薬師如来と箱根の住僧万巻上人が見える。
あつうみヶ崎検証 

噴煙が上がっているのは火口  熔岩痕跡を見れます。

 

水没後の海底あつうみヶ埼

大乗寺根(旧あつうみヶ崎?)水深37m 

この写真の奥側に火口(水深41m)が有る。
頂上付近に階段があり、祭祀遺構と見られ、周囲に遺物が散乱する。(遺跡と承認済)
中央辺りに三角形の方位版が正確に刻まれる。
潜水調査員は奥:山田 豊隆氏 手前:國次 秀紀、カメラにて撮影は吉田 博氏.

海底の神社、遥拝石畳

石畳-26m  参考写真

最近この近くで不思議な形の造形石を発見!
また、このすぐ近くに大型の碇石?が眠る。
新たな遺物(構造物)を発見した。この石畳は神社の手を合わせる場所の様であり、興味有る石積遺構の確認をした。(太陽と月を現す様だ)

今は無きあつうみの里

直見郷だろうか?16軒程の人家が見えるが !

直見は当て字・・・・・阿多美[阿田美(見)]
幻の集落跡 既に水深26m〜36mの海底に眠る。
上の絵に見られる海女達の住まいでは?
直見郷(和名抄に記載)、平安末期には平氏の武者が阿多美氏を名乗るが、後の北条氏(前)となる。
比較参考図 確認してみて下さい。

旧熱海の海岸線

熱海湾全体図  作図での熱海海底図

さまざまな遺跡跡と火山跡が残る。
大乗寺根(旧あつうみヶ崎)は祭祀遺跡として承認済みです。
「碇石は5月4日現在で熱海・伊豆山計62本
石畳横で石の構造物を発見!
2003年8月2日素焼きの壷発見 ! 8月6日引き揚げ(^^)

テクニカルダイバーも調査の為に海底遺跡へ

TDIメンバーと 1  TDIメンバーと 2

JAPAN CMAS--TDI JAPAN

3月31日、JCS・TDI合同の烽燧掃除終わりました。
4月23日東海大学海洋学部 海洋地質学の根元教授が座長となり、マルチナロービーム測深機による海底の詳細測深の第三次調査が完了致しました。
精密チャープ修理整備後に第四次調査を予定。
◎現在、東海大学海洋学部院生鈴木氏(岩石学)によって直接潜水による海底の岩石サンプルの採集と
分析を行っております。(熱水による面白いデーター
が出ています)

さあ、熱海の海底遺跡へ出発です。

海底遺跡1    異聞愚説伊豆国奇譚 も見れます。
海底遺跡2
伊豆山の海底遺跡と走湯山(旧跡観光マップ付)
海からのメッセージ「阿多美湊」
参加者を募集しています。【会員と会則】

学識者、考古学系の学生に対して潜水の指導を実費にて特別養成致しますのでご連絡を下さい。

海底遺跡情報掲示板 全国の阿田/吾田/阿多
会員連絡用掲示板(ID、パス入力必要)
今までの回収遺物ドック跡?と素焼きの壷
2003年2月8、16日 回収遺物  場所
2003年3月16日遺物撮影 
2005年度 調査履歴 石垣(石積)、壺発見!
2004年度 調査履歴かがり火灯台?

かがり火大灯台

2003年度 調査履歴 最新情報
2002年度 履歴関係
碇石のゆかり地関係  全国のあたみゆかり地
BIGSITE熱海&伊豆山(プロテックスジャパンホーム)
3月31日、JCS・TDI合同の烽燧掃除ダイコンデーター


東海大学海洋学部 海洋資源学科 海洋地質学専攻                 根元 謙次教授による熱海沖海底の地質調査を行っております。海底の等深線図には人工の遺構跡がはっきりと出ています。第四次調査が始まります。乞うご期待(^^♪

速 報  水深55〜46mにて、かがり火灯台(烽燧)を見つけました!? 


2012年 ?
2007年12月16日 国際シンポジウム「水中文化遺産と考古学」福岡市博物館講堂で開かれました。
この会でもお世話になっている宮武氏が講演者として参加しています。
2007年度版 
現在、伊豆山を含む伊豆半島の歴史調査をしております。
8月徳間書店 月刊誌の旅行特集に熱海の海底遺跡掲載.
9月8〜9日大阪朝日放送MOVEの海底遺跡他取材
 
2006年度版 本年度は集落と集落の湊跡の調査を予定しています。生活用具の発見に努めます。

2005年度版 
4月17日第一回定例講演会を行い、盛況の内に修了致しました。第一回第二回目 第三回 第四回
4月23日ドック跡?北よりにて素焼きの壺の破損欠片3個を発見。
5月20日「熱海の海底遺跡保存会」の後援会が発足します。メンバーには東京海洋大学名誉教授である茂在先生、東大講師・港川人研究の小田先生、イワクラ学会副会長の鈴木さん、水地研八木さん、高橋さん、熱海市都市再生機構の片桐さん、現熱海市議会副議長大徳京子女史。
5月22日第二回定例講演会を行いました。伊東や修善寺の歴史好きの方も参加しています。
◎イワクラ(磐座)学会の会員になりました。7月16日〜18日宮崎県の総会と講演会に於いて「熱海の海底遺跡」の発表を行います。
◎熱海市 観光協会の会員(理事)になりました。熱海の観光に寄与出来そうです。
6月19日第三回定例講演会を行いました。走湯山九曜紋と吉志・吉士・喜志族の関係が浮かびました。
7月16〜18日宮崎県西都原博物館にてイワクラサミットが修了致しました。 (案内書)
10月23日(日)第七回定例講演会を開催致しました。 次回は11月27日(日)午後1時より.

2004年度版 
朝日新聞2/1日朝刊社会 12〜14版142kbit 355kbit 英字版262kbitプ ラウダ新聞
熱海市多賀神社の伝承を紐解く 黒いマレビト 52 話53 話54 話55 話56 話57 話 58話

2003年度版 
東京新聞掲載8/24日「熱海版アトランティス」  熱海(伊豆)新聞8/29日掲載版  静岡新聞9/8日夕刊版
週間プレイボーイ誌11/25日発売50号 


保存会の今後の予定と問題点
熱海の海底遺跡の調査報告と、その報告内容が問題となっている。と言うのも、今まで有りえないとされていた地区に大量の「碇石」らしき物が発見され、またそれ以前の物とされる不思議な遺物が発見され、更に石畳や階段、石垣、湊跡の遺構と山城構えの塀の存在となると歴史・考古学者から問題が有ると言われても仕方が無い。

陸上の遺跡発掘とは違い、海底に遺物や遺構が点在する為に、その調査は格段の難しさを露呈しているのだが、ただの興味本位で取り扱われると、その事自体で、この海底遺跡調査にも終止符を打たねばならない状況となってしまう。

現状の文化財保護法の適用を受けると、正に一般の方は調査潜水不可となり、また、その水深の深さによる調査の難易によって、調査の出来ない海底遺跡となっても仕方が無いのであろう。熱海の海底遺跡は正に上記の如くで有り、問題を投げ掛け、その答えを急ぐのでは無く、ゆったりとした流れの中で、調査の進行を見ていて頂きたいと願うばかりだ!! 


熱海の海底遺跡保存会 事務局
413-0002 静岡県熱海市伊豆山387-2 プロテックスジャパン内
0557-80-3262 fax0557-80-3262
mail: pro-tecs@izu.biz 担当 國次 秀紀(プロフィール)
◎ウイルスメールが多い為、恐れいいりますがメールアドレス部分をコピーの上、お送り下さい。