旧佐賀鍋島本藩藩士・鍋島家佐賀別邸家扶・百六銀行初代頭取・佐賀内庫所/鍋島報效会初代頭取

田中清輔 墓碑記載文

故鍋島家之家扶田中清輔君歿矣謹状之曰君諱清輔世佐賀藩之

士考吉岡兵右衛門妣小林氏以文政四年於七月十七日生

佐賀城下而出嗣田中致総之家幼好学長入千江都昌平校遠

観光於奥羽之地業成帰国擢為弘道館指南遂教諭又従事

千刑法制度調査後為世子直大公傳夫閑叟公佐賀藩中興之

英主而其用人必選人才卓偉有為之士不得入其選而以君特

任世子傳者不間知君為人才也世子即藩候位明治維新之際

衛横浜鎭野州君徒之奔走兵馬之間大有所盡廃藩後為家扶

当佐賀別邸之事兼百六銀行長亦能拮据斡旋財務整理致

股實者君興有力及辞職興金及田以酬其労君優遊送君以

藩國職詩為明治三十九年十二月三日病歿享年八十有

六年佐賀市龍泰寺之域配田中氏生一男三女長男董一先歿

孫安一郎其後明白

  温千其貌   穀然其心

  可敬而愛   以見徳深

明治四十一年 日

永田 暉明(旧藩士・第三代目佐賀市長)

大野 薨

実際の墓碑は縦書きですが、インターネット上での処理が難しい為、横書きに致しました。