かがり火灯台(烽燧[ほうすい)]を発見か?

関東や伊豆に於いての記録は無いが、大和朝廷が蝦夷の征伐の為に作らせたものか?
関東や相模の国から九州・西国へ、西国から東北への船舶通行の為の灯台として建てられた?

664年(天智天皇3年)の頃、唐にならい北九州や朝鮮半島沿岸に烽燧を作らせ、いち早く敵の動きを大和へと知らせる為に造営し、894年まで240年続いた烽燧は廃止されたが、地名として各地に残っている。

この烽燧(ほうすい)の任務に当たったのが所謂・防人(さきもり)で有り、美濃・尾張・三河・駿河さらに越前・相模の国、そして伊豆多賀の地から多くの人が防人として赴任して行った。

749年、箱根の住人万巻上人があつうみヶ崎にて薬師如来に有ったとされる熱海温泉図彙には既にこの様なかがり火灯台(烽燧)は書かれていない。(既に海底へ?) 熱海温泉図彙カラー着色版

2003年が終わろうとする12月29日、リピーターである中山氏と大乗寺根に行って見た。

普段はこの場所へは直接下りる事が出来無いのだが、船頭さんの好意で下ろしてもらい潜降開始をした。細いロープを目安に一気に潜降・・・この時期の透明度も手伝ってか良く見えている。

水深30m辺りで目の前に大乗寺根が広がる。さっと周りを見ながらいよいよ右へ回って沖側の先端へ・・・!?

根に沿って石張りをし、石を積み上げた高台の様に成り、その上側には以前に禊の場と思った三角形のかがり火を焚く場所が有る。

南西は岩場を利用した風除け、北東の一部に風除け状に石を積んで配列してある事が分かる。
設置された向きから照らす範囲や方向は房総から大島及び伊豆南側へと光の無い時期の灯台としては充分である。

12月30日に再確認潜水、2004年1月3日、1月4日と立て続けに潜水したが毎回の減圧停止。
調査水深は46m〜55mに及ぶ。 今回、この場所で常夜灯の屋根?を1個と碇石3個を確認。

かがり火灯台(烽燧)東側の石積の状態 下部水深52〜53m  モニュメント状の組み方.
◎朝日新聞社提供写真

石張り  上の図A 上の図C
こんな所にも碇石が・・・! 上の図J 上の図B
上の図E 上の図D
 木端石積み 上の図C 木端石積み 上の図C
上の図G 上の図F
ここがかがり火を焚く場所. 水深46m    H 小さめの玉石が底面に配置して有る。H
方形石組 上の図 I  石組み上の図 I
 入隅 上の図 I 上の図G
減圧中 大乗寺根での潜水は毎回減圧停止が付き物(^_^;)

熱海の海底遺跡詳細海底図(東海大学海洋学部海洋資源学科根元教授提供)

熱海の海底遺跡保存会