伊豆山海底遺跡と走湯山

歴史調査は別途検証として考える事とし、遺構遺物物証の調査へ本格的に移行致しました。
伊豆山は阿岐戸郷の港跡、小波戸崎の港跡、小匂戸崎、弁財天崎周辺の港の痕跡を追う !

伊豆・伊豆山・走湯・走湯山のお話は伝承的要素が高い為、下記項目内で説明致します。
異説、異論、異聞、奇聞、偶想、愚説、妄想論
伊豆国奇譚
異説・愚伊豆国の国府 阿多美

古名を表示しました。現在名と古名とを比べてみて下さい。

2003年1月19日現在、伊豆山の海底で「碇石」を7本確認し、種類として2種類のタイプを確認している。
 特異な部分として、この内の2本は薄型で幅広という珍しいタイプである。     碇石とは(クリック)

 伊豆山古跡マップ

伊豆山の旧跡観光用のマップです。(印刷保存用JPG版230Kbit)

伊豆山は慶長時代の前後に江戸築城石の搬出が活発だった。

しかし、それよりも先に走湯山を語らなければならないだろう。

この左の図は湯河原(土肥郷)より走湯山に向かって山中を越えるが、走湯山及び熱海(阿多美郷)が一望出来る場所を鎌倉の時代には礼拝峠と言った。

阿岐戸郷沖合いには小さな島並(岩礁帯)が見えるのが興味をそそる。 


伊豆山・走湯山の神々のお社
奥の院から岩戸山を望む 奥の院(中の本宮) 結だいらの結明神  白山神社
結明神社 足立権現社 雷電権現社  新宮拝殿
伊豆山の浜地区、走り湯の所に走湯神社(護湯童子/瓊々杵尊)もあり、この他に小祠は沢山あります。
伊豆山神社縁起と祭神関係はこちらへ(伊豆山神社へリンク)
伊豆山神社末社(伊豆神社・走湯神社)は現在全国に153社(25.8.10現在)有ります。
末社・他社境内社・他社境外社・他社合祀社・他社摂社、勧請社、想定社等が含まれます。
「熱海の海底遺跡保存会」
伊豆山の海底遺跡を語る時、当然として伊豆の御宮としての伊豆山神社及び
「走湯山」を語らなければいけません。伊豆山の神は海より来たものとして祭殿
へと続く階段と坂が有るのです。その階段の始まりは海岸に有ったと思われる
湊跡ですが、既に海底に沈み込んでいて調査を待っています。湊跡に残される
礎石と組み石、そして無数の和船の為の碇石、其れこそが海底遺跡なのです。
下記、伊豆国奇譚からお入り下さい。

伊豆の国を語る時、大化の改新(乙巳の変)の前と後の時代考証をしなければいけません。乙巳の変によって蘇我一族及び賀茂一族関係者の掃討が始まり、伊豆の国もその強大な権力(蘇我一族及び賀茂一族)を支えていた為に伊豆の国は改易(廃国及び他国へと統合)→(駿河の国に35年間統合)となったのです。

権力を支えていた物は何でしょうか!?

それは、交易・交通による財力や物資その物であり、伊豆の国は東側の小国や部族との交易、及び近隣の国より物資や人材の運搬業務によって多大な財力・物資を蓄えていました。勿論、交易を兼ねて情報の伝達や技術の伝承、人材の交流と移動も行われていたのです。しかし、人や文物の移動運搬には条件や厳しい規則が存在していたのです。

伊豆御宮はこの交易・交通の支配権を有していたのです。それには大きな湊と船の所有、造船と船舶の修復、船頭と航海術、荷役管理等が出来なければなりません。つまり、阿多美とは阿多の大湊と景観の美形を現す地名称なのです。

異説・愚説伊豆国奇譚 伊豆山神社縁起(「走湯山縁起」「伊豆山略縁起」記載神名による)

  厳重注意 ここに書かれているものは正式な調査によって発表されたものでは有りません。個人として、
   國次 秀紀独自の調査推理の上に書かれた物です。故に参考にする方はご注意をお願い致します。