のS_TANさんに編集して頂きました。
「古代であそぼ」
わたしなら、こう考える!。など、ご意見お待ちしてます。
< 1枚の絵 > 解析の順に掲載致します。お楽しみに !
● ここに1枚の絵がある。熱海の海底遺跡を調査されている國次氏の収集のひとつで、英泉という絵師が熱海の風景を描いている。英泉についての詳細などは國次氏のhpに詳しいので参照して戴きたい。
興味を持ったのは、この絵に描かれている風景は「奈良・天平時代」の可能性が強いということで、國次氏の調査によると現在の熱海港付近の地形と陥没による地形の変化とその年代をみると、鎌倉以前の風景である事はほぼ間違いないという。
絵や写真は実に多くの情報を持っているが、この絵はとりわけ興味を引く。
●検証の中で興味有る物を見つけた・・・。(くにつぐ)
右端の祠の下に半分しか描かれていない祠が有るが、黒っぽく描かれているのは影なのか、
または屋根を葺いた材質によるものか?
● 例えば、右中ほどの人家辺りを拡大してみると、
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この海辺の集落には15,6軒の人家が認められるが、密集している人家の右上にひときわ大きい屋根が見える。さらに拡大してみると、
この屋根中央の切れ込みは単に2つの屋根を繋いだ風には見えないが、望楼でもあったのだろうか。 右の絵では松並木の中とその上に家が見えるが、特に松ノ木の上の家にも特徴が有る。
・次に左下の家並を見てみよう。
地形から見ると舟屋ではないが、 2層以上に見える。1階は鮑の加工でもしていたのだろうか。
・同じ場所から、
これは「つるべ井戸」か? その右側の凹みは海岸へ降りる場所か?
・集落の近くの海岸を見てみよう。
↑B ↑@ ↑A 下の写真をご覧下さい。
海岸に並ぶ短い縦の線は何を表しているのだろう。規則性と数からすると舟でもなく干物を干す台でもなく、洗濯岩など呼ばれる節理を表現しているのだろう。つまり「あつうみヶ崎」も汀は、殆ど砂浜は無く岩の切れ込みが無数にあった、という事になる。
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@上の矢印部分 護岸-39m A上の祠の台座か? -37m
この上の写真2部は上の絵と位置は同じだが、上の絵の想定は天平時代で有り、
下の写真は沈む迄に行った工事と思われ、凡そ天平〜1247年頃以前。
現在は海底の静寂の中へ横たわる。Bの場所は集落前
この護岸用?石垣は長さ凡そ15m以上に渡るものと思われるが、大半が砂の中へ
水深41mの水深に有り、暗い為、次回の映像に期待したい。
・・・次のページでは、海女さんが居る絵の下方をみてみよう。